何かを理解しているとはそれについて高い確率で正解を作り続けることができることだ

俳句を理解しているとは、高い確率でいい俳句を作り続けることができることだ。
数学を理解しているとは、高い確率で正解を作り続けることができることだ。

俳句を理解しているとはどういうことだろうか。
ランダムに17個のひらがなを並べるコンピュータのプログラムは、俳句を理解(作成)しているとは言えないだろう。
また、過去に作られた俳句と呼ばれているものをデータとして持ちその中からランダムに一つを表示するプログラムは、俳句を理解しているとは言えないだろう。

一つ思考実験をしてみる。
ある人が正岡子規の俳句をすべて暗記して、タイムマシンに乗って正岡子規が生まれる少し前の過去に移動し、暗記した正岡子規の俳句を自分が作ったものだとして発表すれば、彼は正岡子規とだいたい同じ評価を受けるだろう。
でも、彼は俳句を理解してなさそうである。
彼は俳句のデータを持っているプログラムと大きく変わらないだろう。

数学を理解している人と暗記している人の違いはなんだろう。彼らを見分けるにはどうすればいいだろう。

また思考実験をしてみる。
ある人が素数というものを理解しているか判定しようとする。

まず単純にある数が素数であるかを答えさせる試験で判定することを考える。
Aさんは素数を理解しているとする。
Bさんは素数を理解していないが100以下の素数を暗記しているとする。

そうすると、100以下の数について試験を行うと、AさんとBさんに違いは現れない。つまり、Bさんも素数を理解しているように見える。
しかし、100より大きい数で試験を行うと、Bさんが素数を理解していないことが分かる。
Aさんは高い確率で正解を答えることができ、Bさんは低い確率(狭い範囲)で正解を答えることができるということだ。

さらに素数についていろいろな観点で質問をして試験することによってその人の素数に関する理解度を判定できるだろう。
やはり、理解度が高い人は高い確率(広い範囲)で正解を出し続けることができると言えるだろう。
理解度が高いとは理解の抽象度が高く応用範囲が広いということなのだと思う。

すべてのものを暗記している人とすべてのものを理解している人に違いはないだろう。
彼らは同じ質問に対して同じ答えをするだろうから。
理解は暗記の圧縮だと思う。
暗記と理解の違いは、その点ではないか。