西行

西行(さいぎょう、1118年 - 1190年)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての日本の武士であり、僧侶、歌人でもある。

和歌は約2300首が伝わっている。「新古今和歌集」に94首が入撰している。
1140年23歳で出家して心の赴くまま諸所に草庵を営み、しばしば諸国を巡る漂泊の旅に出て、多くの和歌を残した。


「惜しむとて惜しまれぬべき此の世かな身を捨ててこそ身をも助けめ」

惜しむといって惜しむほどのこの世でしょうか
この身を捨ててこそ身を救うことができるでしょう


「願はくは花の下にて春死なんそのきさらぎの望月のころ」


「心なき身にもあはれは知られけり鴫(しぎ)立つ沢の秋の夕暮れ」

趣を理解しない身であっても、しみじみとした趣は自然と感じられるものだ。鴫(しぎ)が飛び立つ沢の夕暮れ。


伊勢神宮を参拝したときに詠んだらしい歌

「何事のおはしますかはしらねどもかたじけなさに涙こぼるる」

どういう方がいらっしゃるかは知らないけれども、
恐れ多く、そしてありがたい気持ちで一杯になり涙がこぼれてくる。


西行は人造人間を造ろうとしたことがあったらしい。
『撰集抄』第五より、「西行のアンドロイド」

 一人ぼっちになった私は、浮世を離れて花や月の情趣をともにする相手がほしいものだと、なんとなく人恋しさがつのって、思いがけず、鬼が人骨を取り集めて人を作るように、人間を造ってみようという気になった。
 信頼できる人から作り方のあらましを聞いていたので、そのとおりに、野原に出て拾った骨を並べ連ねて造った。
 しかしそれは、人の姿に似てはいても、見た目が悪く、まるで人間らしさがなかった。
 声は出るものの、楽器を鳴らすかのようだった。実際、人はその心によって、さまざまに声を発する。ところがそいつは、ただむやみに声を出すだけだから、吹き損じの笛と同じだ。
 おおかたそんなふうに出来たわけで、まったく予想外であった。
 『とりあえず、この変なやつをどう始末しようか。破壊するのは人殺しに当たる気がする。心がないから草木と同じとも言えるが、姿は人間だから困る。